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瀧廉太郎居住地跡

                             東京

「花」「荒城の月」はここで作曲された


瀧廉太郎は、「花」「荒城の月」などを手がけた明治期を代表する音楽家。
名曲の多くのは、この記念碑がある所から100メートルほど西に行った所にあった家で作られました。


瀧廉太郎居住地跡

瀧廉太郎居住地跡


瀧廉太郎は15歳で東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学。21歳の時、居住地の近くにあった聖公会の教会で洗礼を受け、クリスチャンになりました。

堅信礼を受て、翌1901年にドイツに留学しましたが、肺結核を発病して帰国を余儀なくされ、大分の実家で療養するも、24歳で死去しました。

当初は大分市金池町の万寿寺に葬られましたが、2011年に先祖の眠る龍泉寺へと移設されました。

上野公園の奏楽堂には瀧廉太郎像、大分市の瀧廉太郎終焉の地には銅像と解説板が建てられています。


瀧廉太郎居住地跡
瀧廉太郎居住地跡
瀧廉太郎
瀧廉太郎
碑文
碑文
瀧廉太郎居住地解説
瀧廉太郎居住地解説

実際の居住地跡
実際の居住地跡
実際の居住地跡
実際の居住地跡



 現地への行き方
東京メトロ「九段下駅」から徒歩5分ほど。


この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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