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伝奏屋敷・評定所跡

                             東京:キリシタン関連史跡

ペトロ岐部や宣教師の取調べが行われた


幕府の最高意思決定機関が置かれた場所。
評定所は1636(寛永13)年以降に確立した、幕府の最高意思決定機関で、老中や三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)などが参集し、国内の懸案事項を審議、裁決しました。

開府当初は、老中の屋敷で審議が行われていましたが、1657(明暦3)年の大火以後しばらくの間、類焼を免れた伝奏屋敷が使用され、1661(寛文元)年からは、伝奏屋敷の脇に評定所として独立の建物が設置されました。

伝奏屋敷は、毎年二月下旬から三月上旬にかけて勅使・院使などの伝奏衆が江戸に下向した際の宿泊施設です。


伝奏屋敷・評定所跡


1639年3月頃、評定所では仙台領から送られて来たイエズス会士3人(日本人2人、スペイン人1人)の取調べが4回に渡って行われました。

ペトロ岐部カスイ神父とジョアン・バプチスタ・ポルロ神父、マルチノ式見神父で、いずれも東北地方でキリシタン信徒を助けている中で逮捕された人々でした。

彼らを取り調べた後、老中の酒井忠勝は寄合衆と協議して、キリシタンに関することを井上政重に一任することとし、彼らの身柄は小伝馬町牢屋敷に送られました。そこで10日間拷問を受けましたが、ペトロ岐部は棄教せず、却って仲間のキリシタンを励ましたため、7月頃浅草で処刑されました。

ポルロ神父、マルチノ式見神父は拷問に耐え切れず転んだとされ、しばらく牢内に留め置かれましたが、1641年頃から完成したばかりの切支丹屋敷に幽閉され、2人とも1、2年後に亡くなりました。信心戻しをしたために毒殺されたのではないかと考えられています。



評定所跡

評定所跡

評定所跡



 現地への行き方
地下鉄「大手町駅」から徒歩2分。現在、東銀ビル・UFJ信託銀行本店・住友信託銀行東京ビル・三菱信託銀行本店ビル・日本工業倶楽部会館が建てられている一帯にありました。


この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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