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慶応義塾発祥の地

                             東京:史跡

慶應義塾大学の起源


1858(安政5)年に福沢諭吉が蘭学塾(後の慶応義塾)を開いた場所。

福沢諭吉は中津藩奥平家の家臣だったので、奥平家の中屋敷で始めた塾が慶応義塾の起源です。記念碑が建てられているのは聖ルカ通り沿いのロータリーですが、奥平家中屋敷があったのは現在聖路加国際病院が建っている場所です。

福沢諭吉が蘭学塾を開く前にも、奥平家中屋敷では1771(明和8)年に前野良沢、杉田玄白らがオランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を解読しました。そのため「日本近代文化事始の地」として「慶応義塾発祥の地」「蘭学の泉はここに」という言葉が書かれています。


慶応義塾発祥の地碑


福沢諭吉は明治初期まではキリスト教排撃者で、内村鑑三は「宗教の大敵」とまで言っていますが、次第に態度を変えていきました。

特に、慶応義塾を発展させていく過程では英国国教会系の宣教師を重用し、公私に亘り便宜を図り、庇護者となりました。

福沢の27年間の友人A.C.ショーは福沢家に家庭教師として住んでいましたし、女性宣教師A.ホアは福沢家に2階で生活しました。まだ大学で聖書を教えることを許可したので、何人もの学生が受洗しました。

キリスト教排撃から容認、支援へ


福沢が死去する1901(明治34)年までに、他にも17人ほどの宣教師を教師として雇い、福沢が塾内に建てた家に住まわせるなどして密接に交流し、多くの特別な援助をしました。そのため福沢と慶応義塾の周辺はキリスト教宣教の一大中心地となったのです。

1858(安政5)年に築地鉄砲町で開かれた蘭学塾が三田に移るのは1871(明治4)年のことですが、その翌年来日したA.C.ショー(英国公使館付きの牧師だった)を翌々年に福沢は雇い、自らの家に転居させました。A.C.ショーは1879(明治12)年、芝に聖アンデレ教会を創立しましたが、そこにも援助を惜しみませんでした。ちなみに軽井沢にあるショー記念礼拝堂もA.C.ショーによって創設されたものです。



慶応義塾発祥の地碑

慶応義塾発祥の地碑

日本近代文化事始の地



 現地への行き方
記念碑が建っているのは聖路加国際病院前と道をはさんだ所にあるロータリーです。


この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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