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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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浴恩園跡

                             東京:史跡

寛政の改革を行った老中、松平定信


寛政の改革を行った老中、松平定信の下屋敷跡。
「浴恩園」と名付けて庭園を整えた松平定信は、引退後ここで風雅な余生を過ごしました。

明治維新以後この地は海軍省用地となり、海軍学校、海軍病院等として用いられました。更に1923(大正12)年、日本橋にあった魚市場がこの地に移転して来て、それが現在の築地市場(東京都中央卸売市場) へとつながりました。


浴恩園跡


中央区教育委員会による解説板には、「江戸時代のはじめ、築地には広さ五万坪にもおよぶ小田原藩稲葉家の名園『江風山月楼』がありました。その後、このうちの約二万坪が一橋家の所有となりましたが、寛政4年(1792)にいたり、寛政の改革をおしすすめる老中松平定信(白川藩)が譲り受けて下屋敷とします。定信は、一橋家の恩恵を受けたという意で、ここを『浴恩園』と命名し、みずから指示して庭園を整備しました。定信は、幕府の要職を退いた後、楽翁と号し浴恩園に隠居し、文雅の楽しみにふけったといいます。」と書かれています。

キリシタンと小田原藩稲葉家


解説板にも、松平定信の屋敷となる前には「小田原藩稲葉家の名園『江風山月楼』」であったことが記載されていますが、小田原藩の藩主が稲葉正勝の時代に、キリシタン家臣 布施弥一右衛門が、キリシタンであると訴えられ、江戸に送られて斬首されたことが分かっています。

それがここであったのか、他の場所であったのかは不明ですが、キリシタン殉教地の可能性がある場所の一つとしてここを訪れました。研究が進み、様々なことが明らかになることを願います。



浴恩園跡

浴恩園跡

築地市場

築地市場



 現地への行き方
解説板は築地市場(中央区築地5-2-1)正門の左脇にあります。写真は2015年時のもので、築地市場は移転が決まっていますので、その後はまた様子が変わるものとみられます。


この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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